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ベテランの頭の中にだけ存在する膨大な暗黙知を活用する

2026.05.08

技術

株価4倍のインテルが、2年前から静かに実現していたこと

ここ最近、インテルの株価がとんでもないことになっている。2026年に入ってから年初来でおよそ225%上昇し、5月には26年ぶりに史上最高値を更新した。年初に30ドル前後だった株が、わずか数ヶ月で130ドル台へ。あのときにいくらかでも仕込んでいれば、今ごろ……などと、つい考えてしまう。

ただ、今日したいのは株の話ではない。その爆上げしているインテルが、実は2年前の時点で、私たちの多くがまだ「クラウドの向こうの話」だと思っていた生成AIを、自社の最重要拠点で静かに実装していた——その話だ。そして、それは半導体業界だけの話ではない。日本の多くの企業が今まさに抱えている課題への、ひとつの現実的な答えになりうる。

株価復活の裏にあった「AIをビジネスの成果に」

足元の株価上昇は、AIデータセンター向け需要の伸び、低迷していたファウンドリ事業の立て直し、そしてアップルとの製造提携観測など、複数の好材料が重なった結果だ。要するに「AIの波に、ハードの会社としてしっかり乗れている」という評価である。

だがインテルのAIへの本気度は、急に始まったものではない。2024年4月に開かれた同社のイベント「Intel Vision 2024」のキーノートは、全体を通して一貫したメッセージを掲げていた。“Bringing AI everywhere”——AIをあらゆる場所に、そして抽象的な実験ではなく、ビジネスの具体的な成果につなげる、というものだ。そのメッセージを最も雄弁に物語っていたのが、ステージから自社工場へ生中継でつないだ、あるライブデモだった。

インテルは、自社製AIの「顧客第一号」だった

「みなさん、防護服を着る準備はいいですか?」——CEOのパット・ゲルシンガーは、数千人の聴衆にそう語りかけると、ステージから少し離れたアリゾナの半導体工場へと中継をつないだ。画面の向こうには、全身を白い防護服(バニースーツ)で包んだ現場エンジニアの姿。クリーンルームの内側から、彼女は製造現場に生成AIを組み込んだ実例を、その場で実演してみせた。

題材は、どの工場にもある切実な悩みだ。装置にトラブルが起きたとき、過去に似た事例がなかったかを調べ、原因と対処法を見つけて、一刻も早く復旧させたい。インテルには数十年・数百万件にわたる操業データが蓄積されているが、そこから答えを探す作業には数時間、ときには数日かかっていた。世界中の工場で何千人ものエンジニアが、日々この”宝探し”に追われている。

エンジニアが、起きたトラブルの内容を、ふだん話す言葉のまま検索窓に打ち込む。すると画面の右側に、過去の類似事例が即座に並んだ。左側では、AIが過去データから導いた「最も可能性の高い根本原因と対処法」を、すでに提示している。さらにボタンを押せば、対応手順が要約され、場合によってはソフトウェアエージェントが復旧作業そのものまで実行する。「数クリックですよ」とゲルシンガーは言った。これまで数時間、ときに数日を要していた作業が、文字どおり数クリックに畳み込まれた瞬間だった。会場からは、思わずといった様子の拍手が起きた。

そして、ここがこの記事のいちばんの肝になる。このソリューションの土台には、インテル自身が立ち上げを支援して生まれたAI企業「Articul8」のソフトウェアが使われていた。しかもゲルシンガーは、こう何度も念を押していた。これはすべて社内のセキュアなインフラ(オンプレミスのGaudi環境)の内側で動いていて、このデータが施設の外に出ることは、いかなる状況でも決してない、と。 半導体の製造ノウハウは、インテルにとって生命線そのもの。それを一歩も外に出さずに、最先端の生成AIを使う。インテルは、自社が世に問うAIの「顧客第一号」を、自分自身で演じてみせたわけだ。

これは、半導体だけの話ではない

このデモの本質を、業界の言葉をいったん外して抽象化すると、こうなる。

長年積み上がった大量のデータ(しかも外には出せない機密)が社内に眠っている。ベテランならそこから答えを引き出せるが、時間がかかり、しかも特定の人にしかできない。それを、データを外に出さずに、誰でも数クリックでできるようにする。

この構造は、半導体に固有のものではまったくない。

  • 製造業全般:自動車、電機、化学プラント。設備保全や品質トラブルの原因究明は、まさにこれと同じだ。
  • 建設・エンジニアリング:過去の施工記録や図面から、似た条件の不具合を探す。
  • 金融:稟議書や審査記録、約款を横断して引く。顧客データだから、当然外には出せない。
  • 医療・製薬:カルテや症例、製造ロット記録の参照。機密性も規制も極めて厳しい領域だ。

さらに踏み込むと、防衛・原子力・基幹系のように、外部ネットワークと物理的に切り離された「エアギャップ」環境で動く現場もある。これまでの生成AIは「クラウドの向こうの巨大モデルにデータを送る」ことが大前提だったから、こうした領域は原理的に蚊帳の外だった。閉じた環境の内側で完結するAIは、ここに初めて扉を開く——のだが、この話は長くなるので、また別の回にじっくり書きたい。

御社にも、「答えを知っているのに、引き出せていない」データはないか

ここまで読んで、自社の現場を思い浮かべた方も多いと思う。

日本企業は、この課題の当事者そのものだ。長い操業の歴史、品質への執着、そして何より、ベテランの頭の中にだけ存在する膨大な暗黙知。その人たちが次々と定年を迎えていく一方で、若手への継承は追いついていない。加えて「大事なデータを社外のクラウドに預けるのは、どうも気が進まない」という、根強くて、そして決して間違ってはいない感覚もある。

生成AIは外のサービスを使うもの——その思い込みを一度外してみると、景色が変わる。インテルが2年前にやってみせたのは、まさに「データを一歩も外に出さずに、社内の知見を生成AIで誰もが使えるようにする」というアプローチだった。そしてそれは今、特別な大企業だけの話ではなくなりつつある。

御社のサーバーやキャビネットの中にも、「答えを知っているのに、まだ誰も引き出せていない」データが眠っていないだろうか。インテルの株価の話は、正直うらやましいかぎりだが、本当に見るべきはチャートの傾きではなく、その裏で2年前から静かに動いていた仕組みのほうかもしれない。